寿退社
退社の理由を『嘘』吐くときがある。
アタシの退社の時期と、結婚の時期を知っている人間ならば簡単にバレてしまう程度の嘘。
尤も、そんな身近な相手は真実を知っているから嘘を吐く理由はないのだが。
なら、誰に対して『嘘』を吐くのか?
* 退社までの経緯を知らない相手。
* 心身健康であることが正義だと思い込んでいる相手。
* 通りすがりの相手。
等々。
「寿退社である」
と。
欺瞞に満ちた、真実の一欠片もない、愚かしく、些細な嘘を吐く。
この嘘にいい顔をしない人がいた。
『嘘』であるコトが理由ではない。
内容が問題だった。
「寿退社だとは云わない方が良い」
その人はそう云った。
恐らく、アタシの良人が会社の先輩であったからであろう。
「結婚相手を捜していたと思われるから」
と、その人は続けた。
この言葉と、「そんな思いでやられたら、皆が迷惑だ」と云った口は同じである。
今にして思うと、矢張りアタシの思いはその程度だと思われていたのだろう。
本物だとは思われていなかったのだろう。
所詮、偽物。
その程度の軽いモノ。
所詮、偽物。
ならば尋ねたい。
本物の思いとはどういうモノか?
どう表現するのが正解だったのか?
そして尋ねたい。
9年前の昨日。
辞めると云ったのは。
9年前の今日。
辞めたのは。
自分の意志であったと、思い込ませるのは悪なのか?
嘘でもイイ。
真実の一欠片などなくてもイイ。
犬の後肢の指の数にすら足らない年数だったが、その短い期間を灰色だけではなかったのだと思う事は、ならぬコトなのか?
辞めたコトは灰色ではなかったと云い聞かせることは、悪なのか?
それが真実でなくとも。
真実が何色であろうと、薔薇色であったと思う事は、ならないことなのか?
23の今日への流れを思い出すくらいなら。
「腰掛け」と思われた方がマシ。
通りすがりの相手になら。
説明しても、理解の出来ぬ相手になら。
「腰掛け」と思われた方が我慢できる。
「そんな程度で躰壊すなんて、我慢が足らないからだ」
「合わない相手がいるって理由程度で辞めるのは、我慢が足らないからだ」
「あんな程度のコトで辞めるのは、根性がないからだ」
我慢が足らないから。
根性がないから。
意気地なし。
そんな言葉をぶつけられるくらいなら。
「腰掛け」と眉を顰められた方がマシ。
アタシが。
腰掛けであったとしたら。
会社に失礼だと云いたいのだろうか?
失礼だから、「寿退社だとは云わない方が良い」のだろうか?
何故。
アタシは。
「寿退社だった」と云ってはならないのか?
アタシの3年間に楽しかった思い出があってはならないのか?
そう。
「仕事が楽しい」と云えば。
「学生気分が抜けていない」と云われた。
念願の仕事に就いた喜びが、浮っついて見えるのかと、喜びを隠すようになった。
楽しさを表面に出さないようになれば、学生気分が抜けていないとは云われなくなった。
また、何故この仕事を選んだか問われたときに気恥ずかしさも手伝って「流れで……」と笑って誤魔化してしまっていた。
それがいい加減に見えたのか?
やる気の無さに見えたのか?
入って直ぐから「三ヶ月保たないと皆思ってる」と云われたのは、矢張り真実の言葉だったのか?
矢張り、「皆云わないだけで、辞めて欲しいと思ってるんだ」は皆の本音だったのか?
だから。
アタシの寿退社という嘘は、腰掛けという言葉への信憑性を持たれてしまうのか?
アタシは。
それでもイイか。
旦那様は知っているから。
ちゃんと。
誰が知らなくても。
誰にどんなに嘲られても。
誰にどんな勘違いをされていても。
一番知って欲しい人は知っているから。
そう思える程度には回復している。
大丈夫。
アタシは。
使い続ける。
「寿退社」
この自分を守る優しい嘘を。
いつか優しい思い出にする為に。
すり替えだろうと。
「アタシは23歳の今日。
寿退社した」
アタシの退社の時期と、結婚の時期を知っている人間ならば簡単にバレてしまう程度の嘘。
尤も、そんな身近な相手は真実を知っているから嘘を吐く理由はないのだが。
なら、誰に対して『嘘』を吐くのか?
* 退社までの経緯を知らない相手。
* 心身健康であることが正義だと思い込んでいる相手。
* 通りすがりの相手。
等々。
「寿退社である」
と。
欺瞞に満ちた、真実の一欠片もない、愚かしく、些細な嘘を吐く。
この嘘にいい顔をしない人がいた。
『嘘』であるコトが理由ではない。
内容が問題だった。
「寿退社だとは云わない方が良い」
その人はそう云った。
恐らく、アタシの良人が会社の先輩であったからであろう。
「結婚相手を捜していたと思われるから」
と、その人は続けた。
この言葉と、「そんな思いでやられたら、皆が迷惑だ」と云った口は同じである。
今にして思うと、矢張りアタシの思いはその程度だと思われていたのだろう。
本物だとは思われていなかったのだろう。
所詮、偽物。
その程度の軽いモノ。
所詮、偽物。
ならば尋ねたい。
本物の思いとはどういうモノか?
どう表現するのが正解だったのか?
そして尋ねたい。
9年前の昨日。
辞めると云ったのは。
9年前の今日。
辞めたのは。
自分の意志であったと、思い込ませるのは悪なのか?
嘘でもイイ。
真実の一欠片などなくてもイイ。
犬の後肢の指の数にすら足らない年数だったが、その短い期間を灰色だけではなかったのだと思う事は、ならぬコトなのか?
辞めたコトは灰色ではなかったと云い聞かせることは、悪なのか?
それが真実でなくとも。
真実が何色であろうと、薔薇色であったと思う事は、ならないことなのか?
23の今日への流れを思い出すくらいなら。
「腰掛け」と思われた方がマシ。
通りすがりの相手になら。
説明しても、理解の出来ぬ相手になら。
「腰掛け」と思われた方が我慢できる。
「そんな程度で躰壊すなんて、我慢が足らないからだ」
「合わない相手がいるって理由程度で辞めるのは、我慢が足らないからだ」
「あんな程度のコトで辞めるのは、根性がないからだ」
我慢が足らないから。
根性がないから。
意気地なし。
そんな言葉をぶつけられるくらいなら。
「腰掛け」と眉を顰められた方がマシ。
アタシが。
腰掛けであったとしたら。
会社に失礼だと云いたいのだろうか?
失礼だから、「寿退社だとは云わない方が良い」のだろうか?
何故。
アタシは。
「寿退社だった」と云ってはならないのか?
アタシの3年間に楽しかった思い出があってはならないのか?
そう。
「仕事が楽しい」と云えば。
「学生気分が抜けていない」と云われた。
念願の仕事に就いた喜びが、浮っついて見えるのかと、喜びを隠すようになった。
楽しさを表面に出さないようになれば、学生気分が抜けていないとは云われなくなった。
また、何故この仕事を選んだか問われたときに気恥ずかしさも手伝って「流れで……」と笑って誤魔化してしまっていた。
それがいい加減に見えたのか?
やる気の無さに見えたのか?
入って直ぐから「三ヶ月保たないと皆思ってる」と云われたのは、矢張り真実の言葉だったのか?
矢張り、「皆云わないだけで、辞めて欲しいと思ってるんだ」は皆の本音だったのか?
だから。
アタシの寿退社という嘘は、腰掛けという言葉への信憑性を持たれてしまうのか?
アタシは。
それでもイイか。
旦那様は知っているから。
ちゃんと。
誰が知らなくても。
誰にどんなに嘲られても。
誰にどんな勘違いをされていても。
一番知って欲しい人は知っているから。
そう思える程度には回復している。
大丈夫。
アタシは。
使い続ける。
「寿退社」
この自分を守る優しい嘘を。
いつか優しい思い出にする為に。
すり替えだろうと。
「アタシは23歳の今日。
寿退社した」
* HOME *

⇒ 【ひろぽ】 (03/21)
⇒ 香樹穂 (03/20)
⇒ BlogPetのリキ (02/05)
⇒ sherry (02/03)
⇒ 【ひろぽ】 (02/02)
⇒ 【ひろぽ】 (02/02)
⇒ sherry (02/02)
⇒ BlogPetのリキ (01/29)
⇒ sakuranomiya_haruyo (01/19)
⇒ BlogPetのリキ (12/05)